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京都のゆぢゃです(・ω・)♪
少し前になりますが、
9/25に朝鮮民主主義人民共和国の水害支援のための
街頭募金を行いました!!
前日にはみんなで
当日に使う垂れ幕や募金箱を
仲良く和気あいあいと作りました♪
ところで共和国では、
各地(特に北部)で、7~8月にかけて降った集中豪雨によって
全国的に5560余戸の住宅と350余棟の公共建物、生産用建物が損壊、浸水し、
1万4850余ヘクタールの農地が冠水、水没、流失したという
大きな被害が出たのです。
そして、
今回のこの豪雨により、
多大な被害を被った朝鮮の人民の方々に対して
少しでも力になれるようにと、
京都の四条河原町の交差点で街頭募金を行いました。
歩行中の皆様に少しでも関心を持っていただけるように、
そして、募金していただけるように、
さらに、大声を出すことによるストレス発散もかねて…(´∀`)
一生懸命募金活動した結果…
な、なんと、、、
10949円もの額の募金を集めることが出来ました(パチパチ
2時間もの時間をかけて
募金活動をやった甲斐がありました!!(>_<)
一緒に募金活動を行ったみなさま
本当にお疲れさまでした!!
そして、募金をしてくださったみなさま
本当にありがとうございました!!
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涼しくなってきました!
食欲の秋、読書の秋・・・
いろんな秋がありますが、日朝友好学生の会は活動の秋です!!
夏の訪朝から、はや2ヶ月ほどが経とうとしています。
そのときの自分たちが見てきたものや、思いを
多くの人に知ってもらうべくこのたび、訪朝報告会を開くことになりました!
全国6人のメンバーのうち、兵庫・京都から参加したメンバーで一緒に報告します!!
しかも、
今回は今年9月にちょうど訪朝されていた同志社大学の太田修先生をお招きして
朝鮮民主主義人民共和国についてお話していただきます!
この貴重な機会を逃さないよう、
ぜひ多くの方に足を運んでいただきたいと思います!
以下 転送・転載大歓迎!
‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴
日朝友好学生の会@京都・兵庫 主催
2010年度
「『日朝友好学生の会』訪朝団」 報告会
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥
日朝友好学生の会は、日本人学生と朝鮮人学生が主体となり、
過去の歴史と向き合いながら 日本と朝鮮半島の間に横たわる
様々な問題を解決するべく取り組んでいます。
このたび、8月26日~30日に訪れた朝鮮民主主義人民共和国についての
報告会を開くことになりました。
メディアでは見ることができない朝鮮民主主義人民共和国の空気、人々の語り、表情を
学生それぞれの立場から伝えたいと思います。
また基調報告では、同志社大学太田修教授をお招きし、
専門的視野からみた朝鮮民主主義人民共和国の現在と
日本の関係についてお話いただきます。
是非、お越し下さいませ!
【日時】:
2010年10月30日(土)
開場 14時半~ 開始:15時
【場所】:
同志社大学 新町キャンパス
渓水館 会議室
【内容】:
①基調報告
同志社大学教員 太田修教授
(朝鮮近現代史、日朝関係史)
②学生の報告
【参加費】:無料
主催:日朝友好学生の会@京都・日朝友好学生の会@兵庫
お問い合わせ: nittyou_kyoto@yahoo.co.jp
blog→http://nittyou.blog.shinobi.jp/
食欲の秋、読書の秋・・・
いろんな秋がありますが、日朝友好学生の会は活動の秋です!!
夏の訪朝から、はや2ヶ月ほどが経とうとしています。
そのときの自分たちが見てきたものや、思いを
多くの人に知ってもらうべくこのたび、訪朝報告会を開くことになりました!
全国6人のメンバーのうち、兵庫・京都から参加したメンバーで一緒に報告します!!
しかも、
今回は今年9月にちょうど訪朝されていた同志社大学の太田修先生をお招きして
朝鮮民主主義人民共和国についてお話していただきます!
この貴重な機会を逃さないよう、
ぜひ多くの方に足を運んでいただきたいと思います!
以下 転送・転載大歓迎!
‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴
日朝友好学生の会@京都・兵庫 主催
2010年度
「『日朝友好学生の会』訪朝団」 報告会
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥
日朝友好学生の会は、日本人学生と朝鮮人学生が主体となり、
過去の歴史と向き合いながら 日本と朝鮮半島の間に横たわる
様々な問題を解決するべく取り組んでいます。
このたび、8月26日~30日に訪れた朝鮮民主主義人民共和国についての
報告会を開くことになりました。
メディアでは見ることができない朝鮮民主主義人民共和国の空気、人々の語り、表情を
学生それぞれの立場から伝えたいと思います。
また基調報告では、同志社大学太田修教授をお招きし、
専門的視野からみた朝鮮民主主義人民共和国の現在と
日本の関係についてお話いただきます。
是非、お越し下さいませ!
【日時】:
2010年10月30日(土)
開場 14時半~ 開始:15時
【場所】:
同志社大学 新町キャンパス
渓水館 会議室
【内容】:
①基調報告
同志社大学教員 太田修教授
(朝鮮近現代史、日朝関係史)
②学生の報告
【参加費】:無料
主催:日朝友好学生の会@京都・日朝友好学生の会@兵庫
お問い合わせ: nittyou_kyoto@yahoo.co.jp
blog→http://nittyou.blog.shinobi.jp/
こんにちは、のんたんです。
会議を重ね、サムルノリの練習に励んだフレンドシップコンサートが
ようやく終わり、楽しかった思い出を胸に、ひとまずはホッとしているところです。
今日は9月12日から3日間開かれた朝鮮語講座の様子を報告します。
まず、1日目。
この日は、前日まで訪朝していたメンバーも参加!
ハングル検定でいう5級の動詞活用と歌「ウリエソウォン」を学びました。
日本人の私が統一の歌を歌うのは少し変な感覚(?)でしたが、素朴で綺麗なメロディーでした。
2日目は、朝鮮学校出身の人を先生に、4級の動詞活用を教えてもらい、
仕上げにアイスをかけてチームで出来を競いました(笑)
3日目は、参加していないのですが、朝鮮語でゲームをしたそうです!
さて、皆さんは「言語」にどんなイメージを持っていますか?
グローバル化が進む現代。
外国語の一つや二つ習得するのは当たり前、有利、習得する外国語は情報をやり取りするためのツール、
といった言語に対する軽い雰囲気があるように思います。
私も最近まで漠然とそのように感じていました。
例に漏れず、私も韓流にはまった人で、朝鮮語で直接会話したい!聞きたい!と思っていましたから。
しかし、「言語」というものについて考え直すきっかけがありました。
それは、マンガン記念館の事前学習後の食事会でのこと。
その日は日本人学生ばかりが集まっていたのですが、そのうちの2人が「私達が朝鮮語を気安くしゃべってイラっとこないか」という質問を在日朝鮮人学生にしたことがあるという話が持ち上がりました。
この時、私は「はっ」と衝撃を受けました。
この日まで私は大学で習いたての朝鮮語を話す環境があることが嬉しくて、
「ミアネー」や「コマウォー」などを所々会話で使っていたからです。
詰まるところ、何も考えていなかったのです。
近年、朝鮮学校の学費支払いが厳しいため日本人学校に通い、日本語しか話せない在日3世、4世の子が多くいます。
本質的に今回の講座もこの子達のために開かれたものです。
日本社会で暮らす在日朝鮮人にとって、朝鮮語いう「言語」は情報交換のツールより、民族、アイデンティティを知る、確かめるための大切な要素なのです。
一方で、日本に住み、当然のこととして日本語をしゃべる日本人は「言語」=アイデンティティという関係を軽視しがちであり、これが結果として「民族教育」への無知、反発へとつながっていってはないでしょうか。
私はそのきっかけの日から、日朝の場での朝鮮語(挨拶とかで)の使用を戸惑うようになってしまいました。
しかし「これは何か違う」と感じ、私は自分なりに色々考えました。
その結果、「外国語習得をする時には、単なる言語習得にとどまらず、(理解できようができまいが)
外国語の持つその国の事情、感性、文化様式等も含めて習得できるように努めるべきなんだ」と思うようになり、今はまた「スゴハッショスムニダ」と挨拶できるようになったしだいです。
朝鮮語一つをとっても、在日朝鮮人の方が抱える問題がみえてくることを、今回は学んだのでした。
おわり。
会議を重ね、サムルノリの練習に励んだフレンドシップコンサートが
ようやく終わり、楽しかった思い出を胸に、ひとまずはホッとしているところです。
今日は9月12日から3日間開かれた朝鮮語講座の様子を報告します。
まず、1日目。
この日は、前日まで訪朝していたメンバーも参加!
ハングル検定でいう5級の動詞活用と歌「ウリエソウォン」を学びました。
日本人の私が統一の歌を歌うのは少し変な感覚(?)でしたが、素朴で綺麗なメロディーでした。
2日目は、朝鮮学校出身の人を先生に、4級の動詞活用を教えてもらい、
仕上げにアイスをかけてチームで出来を競いました(笑)
3日目は、参加していないのですが、朝鮮語でゲームをしたそうです!
さて、皆さんは「言語」にどんなイメージを持っていますか?
グローバル化が進む現代。
外国語の一つや二つ習得するのは当たり前、有利、習得する外国語は情報をやり取りするためのツール、
といった言語に対する軽い雰囲気があるように思います。
私も最近まで漠然とそのように感じていました。
例に漏れず、私も韓流にはまった人で、朝鮮語で直接会話したい!聞きたい!と思っていましたから。
しかし、「言語」というものについて考え直すきっかけがありました。
それは、マンガン記念館の事前学習後の食事会でのこと。
その日は日本人学生ばかりが集まっていたのですが、そのうちの2人が「私達が朝鮮語を気安くしゃべってイラっとこないか」という質問を在日朝鮮人学生にしたことがあるという話が持ち上がりました。
この時、私は「はっ」と衝撃を受けました。
この日まで私は大学で習いたての朝鮮語を話す環境があることが嬉しくて、
「ミアネー」や「コマウォー」などを所々会話で使っていたからです。
詰まるところ、何も考えていなかったのです。
近年、朝鮮学校の学費支払いが厳しいため日本人学校に通い、日本語しか話せない在日3世、4世の子が多くいます。
本質的に今回の講座もこの子達のために開かれたものです。
日本社会で暮らす在日朝鮮人にとって、朝鮮語いう「言語」は情報交換のツールより、民族、アイデンティティを知る、確かめるための大切な要素なのです。
一方で、日本に住み、当然のこととして日本語をしゃべる日本人は「言語」=アイデンティティという関係を軽視しがちであり、これが結果として「民族教育」への無知、反発へとつながっていってはないでしょうか。
私はそのきっかけの日から、日朝の場での朝鮮語(挨拶とかで)の使用を戸惑うようになってしまいました。
しかし「これは何か違う」と感じ、私は自分なりに色々考えました。
その結果、「外国語習得をする時には、単なる言語習得にとどまらず、(理解できようができまいが)
外国語の持つその国の事情、感性、文化様式等も含めて習得できるように努めるべきなんだ」と思うようになり、今はまた「スゴハッショスムニダ」と挨拶できるようになったしだいです。
朝鮮語一つをとっても、在日朝鮮人の方が抱える問題がみえてくることを、今回は学んだのでした。
おわり。
9月の4~5日、日朝友好学生の会@京都は丹波マンガン記念館の再建作業ボランティアに行ってきました!
車で1時間、丹波マンガン記念館にたどり着くと、まず、李龍植館長が記念館の中にある施設や強制連行の歴史について説明をしてくださいました。
飯場(作業員が生活する場所)の説明風景
マンガンを運ぶために利用した車。駅まで運ばねばならず、とても長い距離を歩かされたそうです・・・。
いくつか説明を受けた後、いよいよマンガン鉱山の中へ・・・
マンガン採掘に使われた坑道
当時働かされていた朝鮮人労働者たちは、この坑道を支えている坑木がミシミシと音を立てるの聞いて崩落の危険を察知したそうです。命がけの作業でした。
このような過酷な労働条件であったにもかかわらず、食事が十分に与えられなかったり、給料が支払われなかったりしました。
このような状況は日本各地に存在しているわけですが、日本による加害の歴史を表す公営の博物館は日本には存在しません。丹波マンガン記念館のように、なんとか民間で運営しているというのが現状です。
加害の歴史を認め、公営の博物館をつくるよう国に訴えかけていくのはもちろんですが、他にも何かできることがあるはず、そんな思いで今回のボランティアに参加しました。
今回は土砂で埋もれた水路の掃除と丸太の皮むき作業を行いました。
この日はとても暑い日となりましたが、休憩を取りつつ日が暮れるまで作業を続けました。
そして作業の後は、やっぱりみんなで焼肉パーティー!
焼肉パーティーで何があったのか??
今回は今年から日朝友好学生の会@京都の活動に参加するようになった新メンバーにもブログを書いてもらったので、最後はそちらの方に譲りたいと思います☆
9/4から二日間、丹波マンガン記念館の修復作業に行って参りました。参加者には私の知らない方もちらほらといらっしゃったので初めは緊張しました。しかし、鉱山開発当時の強制労働を髣髴とさせるような過酷な作業を炎天下の中で行っている内に、いつしか緊張も解け、皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。
夕食では、沢山の焼肉とお酒を頂きました。
そして、何よりも嬉しかったのが記念館の館長さんとじっくりと話をすることができたこと。何十分彼と話したかは分かりませんが、強く記憶に残っている言葉があります。それは「朝鮮人ではなく、日本人が変わらなければならない。」という言葉です。
私は日本人ですが、日本人は朝鮮人に対する加害の歴史を学ばなければいけないと考えています。日本人が朝鮮人との間に本当の友好関係を築く為に、です。そして、加害の歴史を学習する為の場として、丹波マンガン記念館は必要であると強く感じました。
今回のイベントを通じて、私は日朝関係について多くを学ぶことができました。また同時に自分の無知を痛感しました。これからも文献を読んだり、実際に歴史の現場を見ることによって日朝関係について勉強したいと思います。
車で1時間、丹波マンガン記念館にたどり着くと、まず、李龍植館長が記念館の中にある施設や強制連行の歴史について説明をしてくださいました。
飯場(作業員が生活する場所)の説明風景
マンガンを運ぶために利用した車。駅まで運ばねばならず、とても長い距離を歩かされたそうです・・・。
いくつか説明を受けた後、いよいよマンガン鉱山の中へ・・・
マンガン採掘に使われた坑道
当時働かされていた朝鮮人労働者たちは、この坑道を支えている坑木がミシミシと音を立てるの聞いて崩落の危険を察知したそうです。命がけの作業でした。
このような過酷な労働条件であったにもかかわらず、食事が十分に与えられなかったり、給料が支払われなかったりしました。
このような状況は日本各地に存在しているわけですが、日本による加害の歴史を表す公営の博物館は日本には存在しません。丹波マンガン記念館のように、なんとか民間で運営しているというのが現状です。
加害の歴史を認め、公営の博物館をつくるよう国に訴えかけていくのはもちろんですが、他にも何かできることがあるはず、そんな思いで今回のボランティアに参加しました。
今回は土砂で埋もれた水路の掃除と丸太の皮むき作業を行いました。
この日はとても暑い日となりましたが、休憩を取りつつ日が暮れるまで作業を続けました。
そして作業の後は、やっぱりみんなで焼肉パーティー!
焼肉パーティーで何があったのか??
今回は今年から日朝友好学生の会@京都の活動に参加するようになった新メンバーにもブログを書いてもらったので、最後はそちらの方に譲りたいと思います☆
9/4から二日間、丹波マンガン記念館の修復作業に行って参りました。参加者には私の知らない方もちらほらといらっしゃったので初めは緊張しました。しかし、鉱山開発当時の強制労働を髣髴とさせるような過酷な作業を炎天下の中で行っている内に、いつしか緊張も解け、皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。
夕食では、沢山の焼肉とお酒を頂きました。
そして、何よりも嬉しかったのが記念館の館長さんとじっくりと話をすることができたこと。何十分彼と話したかは分かりませんが、強く記憶に残っている言葉があります。それは「朝鮮人ではなく、日本人が変わらなければならない。」という言葉です。
私は日本人ですが、日本人は朝鮮人に対する加害の歴史を学ばなければいけないと考えています。日本人が朝鮮人との間に本当の友好関係を築く為に、です。そして、加害の歴史を学習する為の場として、丹波マンガン記念館は必要であると強く感じました。
今回のイベントを通じて、私は日朝関係について多くを学ぶことができました。また同時に自分の無知を痛感しました。これからも文献を読んだり、実際に歴史の現場を見ることによって日朝関係について勉強したいと思います。
8月29日、滋賀朝鮮初級学校で開催されたウリハッキョマダンに行ってきました
このウリハッキョマダンは朝鮮学校や南米系外国人学校などの民族学校を支援し、様々な違いをもった人々がともに生きる社会をつくるために2006年から始まった行事で、今年で5回目となります。
去年は曇りがちでしたが、 今年はめでたく晴れ上がりました。その分とても暑い日となってしまいましたが、500人の来場者が訪れたそうです。
今回は日本人学生が2名参加し、在日朝鮮人学生と一緒に唐揚げをあげました。唐揚げを揚げた経験はあまりなく、どうやったらおいしく揚がるのかわからなかったのですが、弁当屋の息子(?)から指導を受け、なんとか上手に揚げることができました。
今回は日本人学生が2名参加し、在日朝鮮人学生と一緒に唐揚げをあげました。唐揚げを揚げた経験はあまりなく、どうやったらおいしく揚がるのかわからなかったのですが、弁当屋の息子(?)から指導を受け、なんとか上手に揚げることができました。
から揚げ屋台でおいしいから揚げの揚げ方について学んでいるその一方で、舞台の上では様々な団体が踊りや歌などの演目を披露してくれました。
コレジオ・サンタナ学園のサンバ
(この後ステージから飛び出るという離れ業も・・・なんと店の前まで来てくれました)
朝鮮舞踊
唐揚げを揚げたり呼び込みをしたりしていたため、なかなかちゃんと見れなかった部分もあるのですが、どれもほんとにレベルが高いと思いました。
のど自慢や抽選会など、すべての催しが終わった後、
最後はみんなで手をつないで円になって踊りました。
去年は恥ずかしくて見ているだけだったのですが、やっぱりみんなでわいわいやるほうが楽しいですね☆
私の左隣にはコレジオ・サンタナ学園のケンコ校長先生が。右隣りは・・・誰だろう?と、こんな風にいろんな民族や国籍の人たちが、みんなで手をとりあって踊るというのはなかなかない経験だと思います。
「マダン」という言葉は「広場」を意味する朝鮮語ですが、これは単に物理的な場所を意味するだけではなく、みんなが集まってつくり出す空間というような、概念的な広がりを持った言葉だそうです。
出店を出し、ステージで歌い踊り、そして最後は会場全体で踊り・・・みんなでつくりだしたこの場は、まさしく「マダン」でした。
今はまだ小さい「マダン」ですが、この日本社会が「マダン」となれるように、これからも活動を続けていきたいと思います
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