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9月の4~5日、日朝友好学生の会@京都は丹波マンガン記念館の再建作業ボランティアに行ってきました!
車で1時間、丹波マンガン記念館にたどり着くと、まず、李龍植館長が記念館の中にある施設や強制連行の歴史について説明をしてくださいました。
飯場(作業員が生活する場所)の説明風景
マンガンを運ぶために利用した車。駅まで運ばねばならず、とても長い距離を歩かされたそうです・・・。
いくつか説明を受けた後、いよいよマンガン鉱山の中へ・・・
マンガン採掘に使われた坑道
当時働かされていた朝鮮人労働者たちは、この坑道を支えている坑木がミシミシと音を立てるの聞いて崩落の危険を察知したそうです。命がけの作業でした。
このような過酷な労働条件であったにもかかわらず、食事が十分に与えられなかったり、給料が支払われなかったりしました。
このような状況は日本各地に存在しているわけですが、日本による加害の歴史を表す公営の博物館は日本には存在しません。丹波マンガン記念館のように、なんとか民間で運営しているというのが現状です。
加害の歴史を認め、公営の博物館をつくるよう国に訴えかけていくのはもちろんですが、他にも何かできることがあるはず、そんな思いで今回のボランティアに参加しました。
今回は土砂で埋もれた水路の掃除と丸太の皮むき作業を行いました。
この日はとても暑い日となりましたが、休憩を取りつつ日が暮れるまで作業を続けました。
そして作業の後は、やっぱりみんなで焼肉パーティー!
焼肉パーティーで何があったのか??
今回は今年から日朝友好学生の会@京都の活動に参加するようになった新メンバーにもブログを書いてもらったので、最後はそちらの方に譲りたいと思います☆
9/4から二日間、丹波マンガン記念館の修復作業に行って参りました。参加者には私の知らない方もちらほらといらっしゃったので初めは緊張しました。しかし、鉱山開発当時の強制労働を髣髴とさせるような過酷な作業を炎天下の中で行っている内に、いつしか緊張も解け、皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。
夕食では、沢山の焼肉とお酒を頂きました。
そして、何よりも嬉しかったのが記念館の館長さんとじっくりと話をすることができたこと。何十分彼と話したかは分かりませんが、強く記憶に残っている言葉があります。それは「朝鮮人ではなく、日本人が変わらなければならない。」という言葉です。
私は日本人ですが、日本人は朝鮮人に対する加害の歴史を学ばなければいけないと考えています。日本人が朝鮮人との間に本当の友好関係を築く為に、です。そして、加害の歴史を学習する為の場として、丹波マンガン記念館は必要であると強く感じました。
今回のイベントを通じて、私は日朝関係について多くを学ぶことができました。また同時に自分の無知を痛感しました。これからも文献を読んだり、実際に歴史の現場を見ることによって日朝関係について勉強したいと思います。
車で1時間、丹波マンガン記念館にたどり着くと、まず、李龍植館長が記念館の中にある施設や強制連行の歴史について説明をしてくださいました。
飯場(作業員が生活する場所)の説明風景
マンガンを運ぶために利用した車。駅まで運ばねばならず、とても長い距離を歩かされたそうです・・・。
いくつか説明を受けた後、いよいよマンガン鉱山の中へ・・・
マンガン採掘に使われた坑道
当時働かされていた朝鮮人労働者たちは、この坑道を支えている坑木がミシミシと音を立てるの聞いて崩落の危険を察知したそうです。命がけの作業でした。
このような過酷な労働条件であったにもかかわらず、食事が十分に与えられなかったり、給料が支払われなかったりしました。
このような状況は日本各地に存在しているわけですが、日本による加害の歴史を表す公営の博物館は日本には存在しません。丹波マンガン記念館のように、なんとか民間で運営しているというのが現状です。
加害の歴史を認め、公営の博物館をつくるよう国に訴えかけていくのはもちろんですが、他にも何かできることがあるはず、そんな思いで今回のボランティアに参加しました。
今回は土砂で埋もれた水路の掃除と丸太の皮むき作業を行いました。
この日はとても暑い日となりましたが、休憩を取りつつ日が暮れるまで作業を続けました。
そして作業の後は、やっぱりみんなで焼肉パーティー!
焼肉パーティーで何があったのか??
今回は今年から日朝友好学生の会@京都の活動に参加するようになった新メンバーにもブログを書いてもらったので、最後はそちらの方に譲りたいと思います☆
9/4から二日間、丹波マンガン記念館の修復作業に行って参りました。参加者には私の知らない方もちらほらといらっしゃったので初めは緊張しました。しかし、鉱山開発当時の強制労働を髣髴とさせるような過酷な作業を炎天下の中で行っている内に、いつしか緊張も解け、皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。
夕食では、沢山の焼肉とお酒を頂きました。
そして、何よりも嬉しかったのが記念館の館長さんとじっくりと話をすることができたこと。何十分彼と話したかは分かりませんが、強く記憶に残っている言葉があります。それは「朝鮮人ではなく、日本人が変わらなければならない。」という言葉です。
私は日本人ですが、日本人は朝鮮人に対する加害の歴史を学ばなければいけないと考えています。日本人が朝鮮人との間に本当の友好関係を築く為に、です。そして、加害の歴史を学習する為の場として、丹波マンガン記念館は必要であると強く感じました。
今回のイベントを通じて、私は日朝関係について多くを学ぶことができました。また同時に自分の無知を痛感しました。これからも文献を読んだり、実際に歴史の現場を見ることによって日朝関係について勉強したいと思います。
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