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夏休みですね 皆さん、夏バテなんかしてませんか?
京都は、夏の暑さにも負けずに、活動を頑張ってますよ
夏休みも後半にさしかかりますが、
今回は、いろんな人に来てほしい2つのイベントを紹介します
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みんな集まれ!ウリハッキョマダン 2010
滋賀の朝鮮学校でお祭りが開催されます
普段、なかなか触れることのできない朝鮮学校にぜひ足を運んでみてください☆
日時:8月29日(日)11:00~15:00 (小雨決行)
-場所:滋賀朝鮮初級学校グラウンド (雨天時は校舎内)
-入場料:無料(できる限り「マイ箸」をご持参ください!)
ちなみ2009も参加しましたよ☆
→ http://nittyou.blog.shinobi.jp/Entry/12/
今年も多くの方とともに参加できたらと思います。
お時間がある方はぜひ足をお運びくださいませ
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丹波マンガン記念館 再建運動ボランティアに参加してみよう!!
みなさん、「丹波マンガン記念館」ってご存じですか?
京都府の丹波盆地には、約300ものマンガン鉱山があり、
1989年~1983年までの約90年間の採掘によって1万5千~2万もの坑道が作られた、
日本一のマンガン採掘地でした。
マンガンは、鉄に混ぜると鉄を硬くするという性質。
なので、大砲の砲身や銃身などを作るために多用された、戦争遂行のための必要不可欠な軍事物資でした。
日本は第二次世界大戦中、安価な労働力として、植民地により土地を奪われ日本に渡らざるをえなかった朝鮮人や、被差別部落の人たちをこのマンガン鉱山で半強制的に働かせました。
また戦争末期に至っては、朝鮮半島から多くの人を強制連行し働かせました。
丹波地域のマンガン鉱山も、まさにそのような鉱山のうちのひとつ。
この地域の鉱山では、約3000人が過酷な採掘労働を強いられましたが、その結果、石の埃を吸い後に職業病である、じん肺を患いました。
丹波マンガン記念館は、初代館長である李貞鎬氏(故人)が、じん肺に苦しめられながらも、
在日朝鮮人の歴史を残すために、私財を投げ打って家族と共に創り守ってきた貴重な博物館です。
歴史記念館を創り運営するというのは、簡単な事ではありません。
莫大な資金と労力、そして専門家などの協力や支援を必要とする事業です。
しかし、初代館長は『歴史を絶対に風化させてはならない。』、『お金がなければ食事を減らしてでも作ればいい。』と話しがら、正に何もないところから、強い信念を持って生前この事業を始め、そしてやり遂げました。
記念館は、1986年から3年間の準備・工事期間を経て、1989年に開館したのち昨年まで20年間運営してきましたが、初代館長は開館4年後に他界され、その後は息子である李龍植氏が館長を16年間努めてきました。
この間、日本行政からは『そんなものを作られると迷惑だ。』との冷たい対応のみで、
運営補助は一切なく、坑道整備、記念館建設、運営など全てを独力で行なわないといけない厳しいものでした。
記念館を応援しようとする人達からの寄付やカンパもありましたが、運営を抜本的に支えるまでにはいたりませんでした。 開館当初は何とか赤字を出さずに運営をしてきましたが、とうとう昨年5月31日に閉館するという苦渋の決断を出さざるをえないことになりました。開館から20年目でした。
日本全国に約5000近くあるとされる、歴史記念館や博物館の中で、
丹波マンガン記念館は唯一、被害者の手により建てられた「強制連行」博物館でした。
日本にはドイツと違い、「戦争加害」を残した公的な博物館はひとつもありません。
あまりにも貴重な博物館が閉館することとなったのです。
2008年末に、記念館が閉館されるという報道を受けて、一部支援者達の中で記念館を残そうという取り組みがなされましたが、大きく輪を広げるまでには至らず、惜しくも断念することとなりました。2008年末に、記念館が閉館されるという報道を受けて、一部支援者達の中で記念館を残そうという取り組みがなされましたが、大きく輪を広げるまでには至らず、惜しくも断念することとなりました。 しかし、その後にも在日同胞を中心に、多くの人達の関心は薄れるのではなく、高まっていき、有志によって『丹波マンガン記念館再建委員会』
が結成され、運動がより本格的に推進されることになりました!!
詳細HP:http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/
わたしたち、日朝友好学生の会@京都としても、この貴重な博物館を後世に引き継ぐために
再建運動に何らかの形で関わりたい!と思い、この夏から開始される再建作業にわずかではありますが、ボランティアとしてお手伝いをさせていただくことになりました
作業内容は、飯場や鍛冶小屋の屋根・壁の補修、マネキンの補修、案内看板の塗装などの補修作業、 案内看板の塗装などの補修作業、各種資料の補修・整理作業などを、『夏休み』の期間に集中的に行います。
日朝友好学生の会@京都では、9月4、5日の1泊2日で参加します!!
※丹波マンガン記念館現地にて宿泊、食事付き。
参加資格:18歳以上
共にご参加されたい方はぜひ、nittyou_kyoto@yahoo.co.jpまでメールください☆
上記以外にもボランティア募集が行われています。
興味のある方は以下の連絡先にお問い合わせくださいませ。
丹波マンガン再建委員会事務局
TEL:075―313―3604
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そんな感じで、京都は夏休みも暑さに負けることなく、活動します
ブログ更新ものびのびやっていくので、ぜひチェックお願いします☆
最後に・・・
朝鮮学校に高校授業料「無償化」制度が適用されるのか、8月に決断が下されるそうですが、
まだ結論は出てません。
まさにせめぎ合いのとき。
小さな声をあげていくことしかできませんが、各自ができることをやっていきましょう!!
文科省 https://www.inquiry.mext.go.jp/inquiry38/
首相官邸 https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
下の動画は朝鮮学校についてわかりやすく理解できる内容です。
ぜひお友達に広めてくださいね!!
京都は、夏の暑さにも負けずに、活動を頑張ってますよ
夏休みも後半にさしかかりますが、
今回は、いろんな人に来てほしい2つのイベントを紹介します
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みんな集まれ!ウリハッキョマダン 2010
滋賀の朝鮮学校でお祭りが開催されます
普段、なかなか触れることのできない朝鮮学校にぜひ足を運んでみてください☆
日時:8月29日(日)11:00~15:00 (小雨決行)
-場所:滋賀朝鮮初級学校グラウンド (雨天時は校舎内)
-内容:出店(地域自慢・お国自慢をはじめとする食べ物や飲み物販売など)
ステージ発表(サムルノリ、舞踊、歌、三味線、スピーチコーナーなど)
遊びコーナー(いろんな国の子どもたちの遊びなど)
-入場料:無料(できる限り「マイ箸」をご持参ください!)
ちなみ2009も参加しましたよ☆
→ http://nittyou.blog.shinobi.jp/Entry/12/
今年も多くの方とともに参加できたらと思います。
お時間がある方はぜひ足をお運びくださいませ
☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:
丹波マンガン記念館 再建運動ボランティアに参加してみよう!!
みなさん、「丹波マンガン記念館」ってご存じですか?
京都府の丹波盆地には、約300ものマンガン鉱山があり、
1989年~1983年までの約90年間の採掘によって1万5千~2万もの坑道が作られた、
日本一のマンガン採掘地でした。
マンガンは、鉄に混ぜると鉄を硬くするという性質。
なので、大砲の砲身や銃身などを作るために多用された、戦争遂行のための必要不可欠な軍事物資でした。
日本は第二次世界大戦中、安価な労働力として、植民地により土地を奪われ日本に渡らざるをえなかった朝鮮人や、被差別部落の人たちをこのマンガン鉱山で半強制的に働かせました。
また戦争末期に至っては、朝鮮半島から多くの人を強制連行し働かせました。
丹波地域のマンガン鉱山も、まさにそのような鉱山のうちのひとつ。
この地域の鉱山では、約3000人が過酷な採掘労働を強いられましたが、その結果、石の埃を吸い後に職業病である、じん肺を患いました。
丹波マンガン記念館は、初代館長である李貞鎬氏(故人)が、じん肺に苦しめられながらも、
在日朝鮮人の歴史を残すために、私財を投げ打って家族と共に創り守ってきた貴重な博物館です。
歴史記念館を創り運営するというのは、簡単な事ではありません。
莫大な資金と労力、そして専門家などの協力や支援を必要とする事業です。
しかし、初代館長は『歴史を絶対に風化させてはならない。』、『お金がなければ食事を減らしてでも作ればいい。』と話しがら、正に何もないところから、強い信念を持って生前この事業を始め、そしてやり遂げました。
記念館は、1986年から3年間の準備・工事期間を経て、1989年に開館したのち昨年まで20年間運営してきましたが、初代館長は開館4年後に他界され、その後は息子である李龍植氏が館長を16年間努めてきました。
この間、日本行政からは『そんなものを作られると迷惑だ。』との冷たい対応のみで、
運営補助は一切なく、坑道整備、記念館建設、運営など全てを独力で行なわないといけない厳しいものでした。
記念館を応援しようとする人達からの寄付やカンパもありましたが、運営を抜本的に支えるまでにはいたりませんでした。 開館当初は何とか赤字を出さずに運営をしてきましたが、とうとう昨年5月31日に閉館するという苦渋の決断を出さざるをえないことになりました。開館から20年目でした。
日本全国に約5000近くあるとされる、歴史記念館や博物館の中で、
丹波マンガン記念館は唯一、被害者の手により建てられた「強制連行」博物館でした。
日本にはドイツと違い、「戦争加害」を残した公的な博物館はひとつもありません。
あまりにも貴重な博物館が閉館することとなったのです。
2008年末に、記念館が閉館されるという報道を受けて、一部支援者達の中で記念館を残そうという取り組みがなされましたが、大きく輪を広げるまでには至らず、惜しくも断念することとなりました。2008年末に、記念館が閉館されるという報道を受けて、一部支援者達の中で記念館を残そうという取り組みがなされましたが、大きく輪を広げるまでには至らず、惜しくも断念することとなりました。 しかし、その後にも在日同胞を中心に、多くの人達の関心は薄れるのではなく、高まっていき、有志によって『丹波マンガン記念館再建委員会』
詳細HP:http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/
わたしたち、日朝友好学生の会@京都としても、この貴重な博物館を後世に引き継ぐために
再建運動に何らかの形で関わりたい!と思い、この夏から開始される再建作業にわずかではありますが、ボランティアとしてお手伝いをさせていただくことになりました
作業内容は、飯場や鍛冶小屋の屋根・壁の補修、マネキンの補修、案内看板の塗装などの補修作業、 案内看板の塗装などの補修作業、各種資料の補修・整理作業などを、『夏休み』の期間に集中的に行います。
日朝友好学生の会@京都では、9月4、5日の1泊2日で参加します!!
※丹波マンガン記念館現地にて宿泊、食事付き。
参加資格:18歳以上
共にご参加されたい方はぜひ、nittyou_kyoto@yahoo.co.jpまでメールください☆
上記以外にもボランティア募集が行われています。
興味のある方は以下の連絡先にお問い合わせくださいませ。
丹波マンガン再建委員会事務局
TEL:075―313―3604
mail:tbmg@corea-k.net
担当窓口:075-313-8464(柳)
☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。☆∴:.。
そんな感じで、京都は夏休みも暑さに負けることなく、活動します
ブログ更新ものびのびやっていくので、ぜひチェックお願いします☆
最後に・・・
朝鮮学校に高校授業料「無償化」制度が適用されるのか、8月に決断が下されるそうですが、
まだ結論は出てません。
まさにせめぎ合いのとき。
小さな声をあげていくことしかできませんが、各自ができることをやっていきましょう!!
文科省 https://www.inquiry.mext.go.jp/inquiry38/
首相官邸 https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
下の動画は朝鮮学校についてわかりやすく理解できる内容です。
ぜひお友達に広めてくださいね!!
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