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「日朝友好学生の会」は、日本人と在日朝鮮人の学生が中心となり、過去の不幸な歴史と向き合いながら、フィールドワークや学習会などさまざまな日朝友好運動を展開しています☆
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 7月31日に「韓国併合100年」東海行動実行委員会の主催する地下壕フィールドワークに、日朝友好愛知学生の会のメンバーで参加してきました!

【久々利地下壕の概要】
岐阜県可児市の南山・柿下山にある久々利地下壕は、総延長7015mにも及ぶ県下第二の規模の地下壕で、三菱航空機の33の地下工場のうち最大規模のものです。
1944年4月から地形や地質の調査が行われ、12月25日から大林組(大阪本社)の指揮のもと掘削工事が始まりました。1945年8月15日の敗戦により工事が中断された時、全体の70%、2万5110㎡が掘られており、工作機械164台が据え付けられ8日間試運転が行われていました。
日本国男子の徴兵、徴募による戦時下の労働力不足を、「土地調査事業」によって自主渡航を余儀なくされたり、強制的に連れてこられた朝鮮人や中国人によって補いました。あらゆる資源が不足し十分でない栄養状態の中、連日の過酷で危険な労働状況で多くの犠牲者が出たことが予想されます。

可児市郷土館で地下壕研究会の方から説明をしていただきました。
 
FWの数日前に岐阜県は豪雨で、道が崩れてしまったのでバスではなく徒歩で移動しました。
柿下山のそばには壕内部から掘削された岩の廃棄場所があり、小高い台地のようになっていました。
(指し示している方角にありましたが写ってません。笑)
 
 
 
壕の内部にはいります・・・。入り口からすでに湿気と冷気が漂っています。
 
 
 
入り口からほど近い部分は高さ4.5mと非常に大きな穴が掘られています。
暗いのでライトで照らしましたが湿気がすごく、くもっていて異様な雰囲気です。
 
 
おおきな横穴を掘る際には上から掘り下げる「二段堀り工法」が行われます。
通常は上の穴を掘り終わってから下段に掘り下げるのですが、この地下壕では若干中心点をずらしながらも上下同時に掘削するという非常に危険な方法がとられています。
(一歩間違えれば崩れてしまい下で作業している人が生き埋めになってしまいます。)
 
 
先に進めば進むほど高さが低くなり、1.5mほどの横穴が続きます。
地面は水とどろでぐちゃぐちゃ、頭上は尖った岩もありヘルメットなしではとても危険です。
みんなかがんだ状態で進みます。
 
 
とろこどころに釘が打ち込まれていたり、ダイナマイト用の小さな横穴などが残っていました。
 
 
トロッコ用の枕木があったり(足元の棒のようなもの)、当時の作業の様子が生々しく残されています。
 
こんなに長大な壕を短期間に人力で掘り進めることがいかに過酷な労働であったか・・・。
 
 
ライトがないと壕の中は真っ暗です。
 
 
日朝友好愛知学生の会のメンバーがNHKから取材を受けました。
どのような番組になるのでしょうか・・・。
 
 
1945年の敗戦時の状態で時が止まった地下壕の内部では、戦況が悪化していく中で焦り狂気の只中にある日本の状況が肌で感じられました。
ただでさえ敗戦直前の日本の状況は苦しいものであったのに、朝鮮人や中国人はさらに劣悪な環境の中で危険で無謀な工事に従事させられ、短期間の突貫工事であれだけ広大な地下壕を作ることは想像を絶する過酷さだったと思います。
日本の侵略戦争を肯定し戦争責任を放棄する人達は、実際にこのような過酷な労働に従事しても「強制連行はなかった」「あったとしても人数は僅かだった」などと言えるのでしょうか。
加害性を「記録がないこと」で正当化し、当事者がいなくなることで問題が風化することを望んでいても、「事実」がある限りその記憶は継承されます。もうすぐ敗戦から65年が経過しますが、地下壕は風化することなく「日本の植民地支配や戦争責任の事実」をわたしたちに示していました。
わたしたちも「事実」に向き合い、積み残された問題に対して真摯に取り組んでいかなくてはならないと改めて考えました。
今回の企画者の東海行動実行委員会のみなさんと、詳細な案内や解説をしてくださった地下壕研究会のみなさん、ほんとうに貴重な経験となりました。ありがとうございました!
 
(さつき)
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「日朝友好!」なんて言おうものなら白眼視されてしまうこの日本において、敢えて空気を読まず日本人と在日朝鮮人がともに朝鮮を応援する、そんな場があってもいいのではないか。
サッカーの応援はいつもの学習系の「ううむ」と考えるような企画ではないものの、考えるより心動かす「何か」がときには価値観を大きく変えることもある。
朝鮮の選手のプレーを観て、みんなで応援して、「何か」を感じてほしい!
「日朝友好」って簡単なことじゃないけれど、それを考えるきっかけは身近なところにいろいろあるはず。
その「いろいろ」をもっと大事にしたい。そんな思いで企画したこの応援会。
 
そしてなにより朝鮮がワールドカップに出場するのは44年ぶり、しかも愛知朝高出身の鄭大世選手が朝鮮代表のメンバーに!
こんな絶好の機会を「日朝友好愛知学生の会」としてみんなで応援しないでどうする!という注目度大の今大会。
初戦のブラジル戦も、すごかった。鄭大世の涙にも、朝鮮の選手の真摯な姿にも、ジーンとしました。
上手いとか強いとか、そんなわけではないけど、朝鮮のサッカーは人の心を打つ力があります。
そんなわけでポルトガル戦にも期待が高まり、手作りの朝鮮料理なんかも準備して気合い充分、さあ、応援だ!
 
うれしいことに今回の企画は「ネットでみて」、「友だちに誘われて」、と日本人の参加が多数ありました!
なんとはるばる東京からきてくださった方もあり、ほんとにこの企画やってよかった・・・!
各地の朝鮮学校などで数百人規模で応援会が開催されていたようですが、私たちの会場も小さいながら思いは熱かった!
日朝友好意識の芽生えは、少しずつですが、でも着実に広がっています。
 
高まる期待と興奮の中で迎えたポルトガル戦の結果は・・・とてもとても残念でしたが、あのときあの空間をともにした20余人の気持ちはひとつでした!
 
そして、世界の強豪相手に44年ぶりに奮闘している千里馬チョソンや鄭大世選手の姿から多くの勇気をもらいました。
日朝友好の運動も小さなことからこつこつと、信念をもって邁進し、いつの日か千里の路の先に友好の時代を築きます!
 
 
次回は「韓国併合100年」東海行動実行委員会主催のフィールドワークに参加させてもらいます。
・7月31日(土)10時~
・JR金山駅そばのダイエー前集合
・参加費一般2000円、学生1000円
定員20名 要申し込み!お問い合わせは日朝友好愛知学生の会のさつきまで、お気軽にどうぞ!
nicchoaichi@gmail.com
 
(さつき)
 
補足:応援会の記事が朝日新聞(6月22日愛知県版社会面)に写真つきで掲載され、日朝友好を願う若者がいるということをババンとPRできました!わーい★
 
今年のワールドカップは、44年ぶりに朝鮮が出場します!
44年前に初出場でありながらも”W杯史上最大の番狂わせ”でイタリアを下し、決勝トーナメントに出場した朝鮮。
トーナメント戦ではあえなくポルトガルに惜敗しましたが、今回のポルトガル戦で44年越しの雪辱を果たせるか!?
この見逃せない試合、ぜひ大型スクリーンで観戦しよう!


【日時】
2010年6月21日(月) 19時オープン(20時30分キックオフ)

【会場】
名古屋コリアンスクール(名古屋市千種区豊年町8-23)
※地下鉄東山線千種駅3番出口からJR線路沿いの道を北上(大曽根方面)徒歩12分

【入場料】
500円(チラシご持参の方にドリンク1杯サービス!)
※会場ではドリンクや軽食を販売します。飲んで食べてわいわい応援しよう!

当日は会場でワールドカップオリジナル応援グッズの「限定タオルマフラー」(1500円)も販売します★

(さつき)
 

6月3日(木)に金沢スタディーツアーの報告会と、3回目の学習会を開催しました!

ツアー参加者のわたくしさつきが金沢でのツアーの様子を写真をまじえて報告したあと、
今回はいつもとは趣向を変えて、「野宿を強いられている人々を取りまく問題について」という内容で、日本人メンバーのしんくんが4年間の夜まわり活動をとおして見えてきたことを話してくれました。

日本と朝鮮の間に横たわる100年の歴史、その歴史のねじれの中でうまれた在日朝鮮人を取りまく問題を考え「真の日朝友好」を築いてゆくには、ものごとを多角的に見る目が必要です。
今回の学習会のテーマは一見無関係に見えますが、日本社会(を構成しているわたしたち)の未熟さや排除性、そこからうみだされてしまう野宿・路上生活を強いられてしまう人たちを取りまく問題について考えることは、じつは日朝友好と無関係ではありません。
日常の中であらゆる形となって現れる「排除」に気付くこと、ともすれば簡単に「支配・分断・細分化されてしまう」システムの中を自律的に生き、連帯の意識を持つことはどんな社会問題を考えるときにも必要な感性です。


そんなこんなでムムムと唸りながらの学習会のあとは、ちかくの台湾料理屋で乾杯!
間近に控えたW杯の話題から、なぜか「ヘディングを失敗するとのどちんこがカユくなる」というクダラナイ話で盛り上がり、真面目一徹でなくそんな話もできる(むしろそっちのほうが多い?)日朝友好愛知学生の会の多様性とゆるさ、だけどじつは真剣、っていいなあ、としみじみ感じました。

興味のある方は学習会やイベントに、お気軽にご参加ください。ほんと、楽しいですよ♪
メールでのお問い合わせもお気軽にどうぞ。
nicchoaichi@gmail.com

(さつき)
 51516日の「金沢スタディーツアー」のリポートです!
 
 5月の晴れやかな空のもと、参加者一行は早朝7時半に名古屋を出発!

日朝友好愛知学生の会主催企画第2弾の企画金沢スタディーツアーは、朝鮮植民地支配から100年となる歴史的な年に、日本と朝鮮半島の関係史を学ぶことを目的に、金沢に残る日本と朝鮮半島の関係を示す史跡を辿りました。

2日間に渡るツアーを案内し、講義も行ってくださった北陸大学の田村光彰教授です。

石川県到着後、まず内灘町の内灘海岸に残る米軍内灘試射場跡を見学しました。

 

ここは、朝鮮戦争時、米軍が使用するために日本国内で生産された砲弾の性能を確認するための試射場が設置されたところで、試射場建設をめぐって内灘住民(しかもその多くは男性が漁に出ている間におもに村で生活を守っていた女性たち!)が体を張った座り込みを行い、鉄道会社の労働者たちは資材運搬のストライキを行うなど、多くの人がそれぞれの立場で生活をかけての反対闘争をくり拡げました。この日本初の大規模反戦闘争である「内灘闘争」には、米軍の朝鮮侵略に反対する在日朝鮮人も、主体的問題としてこの闘争に加わり、また、座り込みをする人々を勇気づけるため朝鮮民族楽器を演奏するなど、様々な形で合流したという記録が残っています。現在は景勝地として有名な内灘海岸には、当時の名残として、今ではひっそりと観測所跡などが残っていました。

内灘砂丘で強風と砂にさらされながら車座になり昼食をとったあと、石川護国神社境内にある「大東亜聖戦大碑」を見学しました。

この碑は、20008月、アジアを侵略したかつての戦争を「聖戦」であったと「顕彰」する碑として「有志」によって建立されたものです。この碑の裏面には大きく「八紘為宇」というかつての日帝のスローガンが大きく刻まれており、これはアジア侵略の事実を否定・美化するとともに、戦争被害者やその遺族の思いを省みず、侵略戦争を肯定するというもので、碑の設置を巡っては多くの異論が起こりました。この碑には多くの「賛同者・賛同団体」が刻印されていますが、中には朝鮮出身の特攻隊員や特攻兵のほか「少女ひめゆり学徒隊」や「少年鉄血勤皇隊」、「水戸市立五軒小学校」など、当事者に無断で刻印したものもあるということです。

次に一行は観光名所兼六園に行きました。園内にある朝鮮に所縁のあるという説(学術的には由来は比定されていません)があった海石塔を見学しました。

 その後、高麗文化会館にて田村教授による「日本の『戦後責任』を考える」と題した講義と、懇親会が開催されました。

講義では日本が敗戦後、戦争・戦後責任を果たすことなく、未だ植民地主義が克服されていないという視点から、日本が真の平和国家となるために果たすべき課題とはなにかが具体的に提示されました。

懇親会ではツアー参加者以外にも様々な方が参加され、意見交換や交流が活発に行われました。

なんとここでは田村教授の絶品手作りクリームシチューがふるまわれました!

(その後の宿舎での交流ディスカッションは明け方5時近くまで繰り広げられることになりました・・・!)

1日目のハードスケジュールにもかかわらず、まったく勢いが衰えることなく2日目に突入し、朝9時のさわやかな空気のなかで、一行は野田山の「尹奉吉義士暗葬之地」へと向かいました。尹奉吉は1932429日、日本軍の上海占領と天皇誕生日を祝う祝賀会で爆弾を投じ、金沢で処刑されました。尹奉吉は安重根と同じく日本では『テロリスト』になりますが、決してそうではなく、彼の義挙が、アジアに多くの希望を与えました。ここは、解放後、在日朝鮮人有志によって、処刑された尹奉吉義士の遺骨が発掘され、碑が建てられた場所です。「残念ながら、遺骨発掘、碑の建設と維持に尽力した朴仁祚さんが最近亡くなられたが、今では韓国からの観光者も多く来訪するこの場所を守ってこられた功績は極めて大きい」と、田村教授が解説されました。

次に一行は、「額谷軍需工場跡」へと向かいました。ここはマイクロバスでは通れないほどの狭い山道の先にあるのですが、現地の有志の方々が乗用車を準備してくださり、目的地まで分乗して行くことができました。

 ここは、今では「額谷石切場跡」として知られているように、江戸時代から生活用の石材採掘の場でしたが、第二次大戦終結直前、三菱重工業の航空機エンジン部門の疎開先として突貫工事で軍需工場に改造された場所であり、この工事には多くの学徒、朝鮮人が動員されました。機材の移動だけでもその労力は想像を絶するのですが、内部の大きさも長大で、工事がいか
に過酷な労働であったか想像できました。この工場は、始動することなく「終戦」を迎えたそうです。

最後に訪れた史跡は、兼六園の近くにある「玉泉園」です。ここは、加賀藩士・脇田直賢から4代に渡って作庭された庭園ですが、この脇田直賢とは、1592年の秀吉の朝鮮侵略、いわゆる文禄の役(壬辰倭乱)において、宇喜多秀家と戦い戦死した翰林学士・金時省の遺児・金如鉄であり、そのまま日本に連行された後に加賀藩士になるという来歴があります。この庭園には樹齢330年以上の大きな朝鮮五陽松が植樹されているのですが、彼はどのような思いで作庭したのか、参加者は思いを馳せました。

今回のツアーは学生だけでなく一般からも多数参加され、参加者からは、「金沢を通して、いかに日本と朝鮮半島が深い関係を持っているかを自分の目で見て再確認することができた。これからの朝鮮半島と日本の関係を考えるうえで、示唆に富んだ貴重なツアーだった」などの感想があり、とても有意義なものになりました。

次回の企画は621日のワールドカップ合同応援会です!

http://niccho-aichi.blogspot.com/2010/01/blog-post.html

みなさん一緒に盛り上がりましょう!

(さつき)

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